コダーイは共産主義時代よりも前から、長年にわたり活躍した。共産主義時代には、多くの優れた音楽家たちがハンガリーから外国へ亡命したが、コダーイは共産政治を批判しながらも最後までハンガリーで活躍した。
当時、共産幹部には、優れた人物に住宅や高級車、子供の留学資金など高価な贈り物をする習慣があった。彼はある日幹部に呼び出され、「何が欲しいか」という質問に対する彼の答えは「すべての学校の音楽授業を増やしてほしい」だった。