第二次世界大戦後、ハンガリーはソ連の圧力を受け共産圏にあったため、ハンガリー航空のフライトは東ヨーロッパ行きのみで、西ヨーロッパのフライトは全くなかった。ハンガリー動乱の後1960年頃、共産圧力が少し弱まり、西ヨーロッパ行きのフライトが初まるようになった。
ソ連の圧力に対抗したセントジョージは刑務所に入れられたこともあった。拘置期間終了後、出所して働くようになったが、常に秘密警察の監視下にあった。ところが経験豊富でしかも技術も優れていたのでセントジョージが最初のロンドン行きのフライトの機長に選ばれた。
セントジョージは、ロンドン着陸直後、
 
飛行機から降りた途端、見知らぬ男性から 大きな花束を受け取った。その理由は次のようなことだった。
第二次世界大戦の時に空軍としてセントジョージは戦っていた。ある時イギリス空軍と対面したが、対面した飛行機にはもう既にミサイルが残っていないことを察知し、イギリスのパイロットに手で合図を送り逃げるように指示した。
その時のイギリスのパイロットはハンガリーの戦闘機の番号を記憶し、戦後様々な手段を使って誰がハンガリーのパイロットであったかを調べ上げた。それがセントジョージだと解かると次は彼についてのことも調べ、常に現状報告されるように手配していた。10数年後、セントジョージがハンガリー航空の機長としてロンドンに来ることが分かった当時のイギリスのパイロットは着陸直後にセントジョージを出迎え、感謝の気持ちを表現した。